炭鉱の町のルーツを学べる「田川市石炭・歴史博物館」

トラベル

松本人志の番組「福岡人志」でも紹介された「田川市石炭・歴史博物館」に行ってきました♪ 実は田川は、私の母方の祖父母の出身地なのです。だから私の中にも炭鉱町の血が流れています。そんな自分のルーツをたどれる博物館、楽しみです(*’ω’*)。

ちなみに、ここ田川は絶滅したと思われていた昭和ヤンキーが、いまだに生息する辺境の地(ド田舎)で有名ですが、実はその昔、炭鉱の町として非常に栄えていたそうです。その証拠に田川にあった映画館の一覧が以下です。


こんなにあったんですね(;^ω^) 話では栄えていたとは聞いてましたが、ここまでだったとは、、びっくりしました。

さて、博物館の中を巡っていきます。

採掘場のミニチュアです。明治の終わりから昭和初めにかけて、こんなにも大規模な施設を建設していたんですね。凄いな!

色々な機械があります。電子機器は無いけれど、機械に関しては昭和初期の頃、既に現代とほぼ同じ水準だった事がうかがい知れます。

大きな送風機、これで炭鉱トンネルの奥に空気を送っていた様です。

昭和初期にはガスマスクもあったのですね。びっくり。

でも電話機は時代を感じますね(;^ω^)

消火器も現代と同じ水準に見えます。

というかABC消火器、今のとそんなに変わらないんですね。

炭鉱は危険と隣り合わせ、だから炭鉱夫の日当も高かったと聞いています。だから女性も働いていたんですね。

おや?(;^ω^) おっぱい丸出しで働いていたんですね。明日には落盤事故で死ぬかもしれない炭鉱では「宵越しの銭は持たない(その日に得た収入はその日のうちに使い果たす)」気風が高かったと聞いています。

こんな採掘機も既に当時からあったんですね。んー、考えてみれば、ゼロ戦や戦艦ヤマトを建造していた時代だから当然ですが、でも凄いなぁ(*’ω’*)。

鉱夫を運んでいた車両。

引っ張っていたのは、こんな電車(トローリー)なんですね。パンタグラフは既に現代の物と同じだぁ。

キチンと見て回るには3時間ぐらいは必要だと思います。いやぁ本当はもっと沢山あったのですが時間が足りなく紹介しきれません。

他にも、世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛」さんの記録画は一見の価値あります。

残念ながらこちらは写真でご紹介できませんが、日清戦争、日露戦争、満州国と関東軍、シベリア抑留と、その場に居られた山本作兵衛の絵日記(記録)を見ると、当時の状況が如何に大変だったかを肌で感じることができます。歴史に興味がある方は是非一度、足を運ぶことをおススメいたします♪

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